MINORU

青島ビーチに自転車で通う、どのサーファーよりも熱心にビーチに通う丘サファー風サーファー。旅行者やトリップの女の子に特に親切。ビーチに行けば、みのるに会える。オリジナルLINEスタンプや、自身のレンタルサービスも行なっており、じわじわファンが増えている。

Q. サーフィンを始めたきっかけを教えて下さい。

きっかけ?きっかけは・・・若い頃から、ほんまはサーフィンしたかった。18歳ぐらいの時。サーフィンしてみたかったけど、周りにしてる人がいなかったし、サーフショップというものが僕らの時代にはほとんどなかった。今だったら、この辺にサーフショップはあっちこっちあるけど、当時、大阪にそんなになくて、地元の枚方に一軒あって、でもそこは一人ではよう行ききらんかった。友達もサーフィンに全然興味なかった。

サーフィンする機会がないまま結婚して、サーフィンやりたいな、と思いながら過ごして、で、いくつかな?43か44歳ぐらいの時に、嫁に・・あ!嫁と言うのは1番新しい嫁で、で、嫁に「サーフィンしたいねん」って言ったら「やったらいいやん!」って言われて。嫁は自分より15歳若いから「やったらええんちゃう!」って言ってくれて、で、HSSっていうショップが大阪にあって、そこに何かで見たスクールじゃないなぁ・・その時は、まだサーフィンスクールみたいな、そんなもんなかった。「みんなでサーフィン楽しみましょう」っていう、そういうの見て、それで行ってみたんだけど、いざショップの前に行くと、よう行ききらんねん、なんか。

Q. よう行ききらん?

自分が歳だな、と思ってたから。サーフィンは若い子がやるスポーツだと思ってたから、なかなかショップに行けなくて、行こうと思ったり、引き返したりして・・それを見かねた嫁が「行きー!」って後押ししてくれた。それで中に入って、行けるようになったんよ。

Q. ショップに行って、最初はどんなことをしたのですか?

ショップに行って・・「今度〇月〇日にサーフィン体験のトリップみたいなものがあります。」ってなって「 行きますか?」って言うから「はい、行きます」って答えて、「何時にここに来て下さい」って言われて・・だいたい夜中に出発するからね、大阪っていうのは海まで遠いから、5時間ぐらいかかるから、夜中の12時に待ち合わせして、それからみんなで車に乗って現地に行くんよ。例えば伊勢でも3~4時間かかるから、みんなで何か食べたり、なんやかんやしてたら明け方になって、それから海行って・・けど教えてくれるわけでもないんよ。「はい!入りましょう、どうぞー!」っていう感じ。

Q. 借りたウェットと借りた板みたいな感じで?

そう。板はもう買うてたんよ。ウェットだけ借りた。何千円かで貸してくれた。今やってるスクールみたいに、板をプッシュするわけじゃない。「みんな、入りましょう!」て言って、いきなり入らされるみたいな。それじゃアップアップして、前にも進まんし、わかるやん?初心者見てたら。全然もう!進まんねん、なんぼパドルしても、位置もわからへん。板のどこに身体置いたらいいのかもわからないし、こうしたらいいってアドバイスもほとんどない。ただ流された時には助けてくれるっていうぐらい。その時はカレントが入ってくるとか、そういうのはわからなかったから。

Q. その時の板はどのぐらいの長さだったのですか?

えーーと、6.2。で、3回ぐらいショップのトリップ行ったんかな・・・

Q. サーフィンを体験して、おもしろかったということですか?

ずっとサーフィンやってみたかったし、自分に余裕もできてきたから、やっとやろうかな、と思って始めたけど、おもしろくはなかったね!簡単にできるもんと思っとったからね。板の上に立って”しゅーっ”と行けるのかな、と思って。運動はだいたい何でもできるタイプやったからね。

Q. (失礼ですが・・)運動はだいたい何でもできるタイプだったのですか?

ほんとにそうよ、運動はだいたい何でもできるタイプやねん。でもサーフィンは別物やった。自分の中で別物やった。こんなんなん?ってやってみて初めてわかった。

Q. それから?

で、ショップ3回ぐらい行って・・行くたびに、1万円ちょっと使うんよ。ガソリン代みんなで割ったり、BBQしようとか、行動を共にせなあかんから、それがあんまり好きじゃなかった、僕。別に一緒に行動したいわけじゃないけど、そういうやり方だったから。で、ショップのトリップ続けようかな、どうしようかなと思った時に、よし、子供とやろう!と思ったんよ。それから子供とやりだした。子供連れて伊勢に行くようになった。当時、スポンジボードというのが、まだあんまりメーカーがなくて、そのメーカーのショップで買って、子供と行くようにしたんよ。

Q. その時、お子さんはおいくつだったのですか?

4歳じゃなくて、4年生ぐらい。4年生で始めて、子供のほうが僕より最初に立てたんよ。海に行ったその日から”しゅー”っと行ったんよ。へーっ思って、ほーっと思って。子供の方が上達してくるし、ほんでそれからはサポーターに近かったね。大会に出したりしてたから。

Q. お子さんの方がサーフィンにはまったのですか?

はまっていくというか、自分もお父さんと一緒に出ていきたいタイプやったから。それについてきてたみたいな感じで。で子供が上達して大会に出るようになって、何回か大会に出るうちに、もっともっと、うまくさせようかな、と思ったけど、やっぱサラリーマンには無理なんよね。

大会というものは限界があるんよ。自営業かなんかやってる人じゃないと、現地に行くのには、何日か前からも入っとかなあかんから、行くなら四国、伊良湖の大会、とか、もうそこまでの範囲ぐらいになってくる。けど、結局、最後の方は中途半端になってもうて・・自分がそこまでやりきらんからな。中途半端な感じで終わって・・・そして、子供が働くようになって、もう子供とあんまり行かなくなったんよ。

自分の仕事もあるし、免許もあるし、海行こうと思ったら行けるし・・・子供と行かんようになって、それから1、2年経って・・・。それから息子が宮崎に行くようになったんよ。仕事辞めては、ずっとトリップしてた。で、伊勢で知り合った友達と*もっちゃんが友達だった。
*もっちゃん:青島在住の移住者

息子が「宮崎に行くんや!」って言うから、「ほんなら、もっちゃんを頼って行き!」って、その時に初めてもっちゃんの世話になった。息子は、いろいろ連れて行ってもらったって、もっちゃんの友達にも連れてってもらったみたい。リーフにも入ったし、いろんなとこ連れてってもらって、その後も3回か4回ぐらい一人でトリップに来てるはずや。

で、僕は1回だけ息子と一緒に宮崎にきて・・嫁も一緒で3人で来て・・で、まー青島と伊比井と、どこ入ったかな?木崎で入った。2日か3日間ぐらいの日程で。そして・・まー大阪に戻って・・1年ぐらい経ったときにふっと仕事を辞めたくなって・・

なんかもう、仕事が嫌やな、と思って。上司も会社もなんかたくさん嫌になって・・それで仕事辞めて移住したいって息子に言ったら「行き!行き!お父さん!」って賛成してくれた。それから、どこがいいかな?ってなって「青島ちゃう?」って、「ほんなら青島に行こう!青島に行くわ!」ってなって、会社にも「辞めるわ」って言ったら、会社は「君みたいな歳で向こうに行ってなんの仕事があるんや?」って引き留めるんよ。その歳で移住はないだろうって。まー、今の生活とか給料考えたら、このまま働いてた方がええんちゃうか、って。移住先で一からやるのは大変やで、って。でもそれを押し切って「いや、行きます」って、もう心は決まってたから。

それから、青島に嫁と一緒に家を探しに来たんよ。どれくらいかな・・1週間・・5日程おったんかな・・。で家を探して・・・

Q. それが3~4年前のことですか?

もう去年の9月で4年になったから、4年とちょっと前。部屋を決めてから大阪に戻って、住んでたところには、1か月前に退去しますって言うとかないといけないから、もう出ますって、言って。そして息子と自分の荷物を処分したんや。処分屋さんに19万ぐらい払って、家具から何やらもう全部処分した。退職金もあったから業者に任せて、全部運び出してもらって、全部片づけてもらって。自分の必要なものだけ、服と板とウェットスーツ、それぐらいを息子と自分の車2台に積んで、こっちに来た。

あ!そうそうそう!そうやけども、話がちょっと戻るんやけど。決まってた部屋が保証協会の問題で入居できなくなって。しゃーないから、取り合えず大阪の家は出ないといけないから、青島で家がないけど、来た。あそこの公園の駐車場に野宿しながら部屋を探した。

Q. その当時は、お会いしませんでしたよね?

うーん・・・会わなかったね。取り敢えず、息子は3日ぐらいで帰らないといけないから、もっちゃんとこに息子が運んできた荷物を置いてもらったんよ。「これちょっと置いとってくれん、家が見つかるまで!」って。

Q. 青島に移住して良かった、と感じることはなんですか?

なんか友達とかできたしね、うーん・・(考えてる様子)

Q. 青島に移住してくる前に、もっちゃん以外の友達はいなかったんですか?

もっちゃんぐらいしか、友達はいなかった。もっちゃんだけやった、うん。

最初の頃は、朝早く起きて・・6時ぐらい起きてビーチで海眺めとったんよ。犬を散歩させてるよく見かける女性がいて「あの子といっぺんしゃべってみたいな」とか思ってた。

Q. 今のみのるさんでしたら、すぐ声かけそうですが・・・

声かけるやろうけど!けど、まだ移住してそんなに経ってないから、しゃべってみたいな・・思って、それからなんかのきっかけで、しゃべったんかな・・・

Q. そもそも、サーフィンやりたくて移住してきたのですか?

いや、暖かいところに行きたい、というのもあったんよ。暖かいところに行きたかったし大阪からも近くてすぐ行けると思って・・ほんでこっちに来たんよ。

Q. 移住を決める時に奥様はどういう反応でしたか?

反対したよ。

Q. どのような感じで移住の件を切り出したのですか?

行こうかな・・と思ってるんだけど・・って言って。そしたら、あかんって。そやけど、自分は「お前が止めたから大阪におったんや」とかそういうグチを言いたくなかったんよ。だから「取り合えず、行かして!」って言うた。ダメだったら戻ってくるし、って。とにかく押し切った。だけど嫁には「私は待ってないよ」と言われた。それはもう覚悟した。もうね‥彼氏ができるかもしれんし・・

Q. 奥様が「私は待ってないよ」とおっしゃる状況でも移住を押し切られたのには、どのような理由がったのですか?

何があったやろう・・取り敢えず、逃げたかったんかな、なんか・・。仕事辞めて逃げ出したいというのと・・なんか・・この歳で仕事辞めるのも怖かった、っていうのもあるんやろうな。仕事辞めたら、俺あと何ができるんだろう、とか、それもあったと思う。大阪で仕事辞めたら、その後どうすんのやろうっていうのがあるけど、宮崎に来たら、誰も知らないし、ええやん!と思って。友達いなかったら「今仕事何してるの?」って聞かれることもないし。それも自分の中にあったと思う。

Q. 宮崎は暖かいし、波乗りもできる、知ってる人もいないし、大阪も近い、そういう感じなんですね。単純にサーフィンするために移住してきました!ではないのですね。

そう、サーフィンするため、そればっかりやない・・

Q. ですが実際、青島で暮らす今は、生活のベースに”海”があるでしょう?

うん・・今が一番楽しいね。なんか、やっと楽しくなってきた、っていう。

Q. 楽しくなってきた、とは?

ま、いろいろ顔見知りも増えたし、なんか海入るのも、おもしろくなってきたっていうか・・。前は運動がてら海に入る風でやってたけど、今は波乗りもちょっとおもしろくなってきたな、と思って。ここのみんなとも話が合うし、誘われたり、パーティーに呼ばれたりすることもあるし、海にもちょこちょこ入るしね、前よりだいぶ入るようになったよ、だいぶ!

うんうん・・・。だから今が一番おもしろくなってきたとこやね。今がほんまに、なんかおもしろくなってきた。ただ、冬が来るのが怖いけど・・。イベントもビーチの賑わいもないから・・。

Q. みのるさんにとってサーフィンとは何ですか?

サーフィン・・・生活の一部やろうね・・生活の一部やと思う。炊事すること同じ、洗濯するのと同じみたいな感じ。

Q. 大阪にいらした時は生活の一部じゃなかったでしょ?

うんうんうん・・大阪ではサーフィンは友達と飲みに行く、みたいな感じ。おっさん達が飲みに行くみたいな・・

Q. サーフィンを生活の一部にしようと思って意図的に来たわけじゃなかったけど、来ちゃったら生活の一部になった、でもどこかでサーフィンをもっとしたかったという気持ちはあったのですか?

そりゃ、あったよ。もっとしたいな、ちゅうのはあったよ。それはあったけど、なんちゅうか、そればっかりじゃなかった、やっぱ暖かいとこも来たかったから。
なかなかうまいことできん、サーフィンがうまいことならんから。うん・・うまいことならんから、ここ来たら、もうちょっとできるかな・・と。近いしね。もうすぐね、まーこのヘンどこおっても、10分ぐらいありゃ海行けるから、車さえあったら・・そやから、もう全然向こうと違うからね・・・

Q. 今、みのるさんが生活の中で一番大事にしているものは何ですか?

ここで知り合った友達やね、やっぱり。青島の知り合いは一番大事。

Q. 青島の知り合いが一番大事?

うんっ!なんちゅうか、短い間に濃い・・なんちゅう・・付き合いになったね。だから大阪帰っても、僕友達おらんのよ。同級生とも全然・・付き合わんようになった。僕は20歳ぐらいで結婚したから、同級生は遊んでる歳だから、だんだん遠のいていくよね・・。同じ中学校の子とか、中学校の子とか、もう全然付き合いがない。その時の友達は、僕が宮崎に来てることも全然知らないと思う。

ただサーフィンの友達だけはみんな知ってる。けど、その友達には宮崎行くこと引き留められたんよ。行かんどきー、って。

Q. 今、現在のみのるさんは、こちらに移住する前のみのるさんについてどう思われますか?

その時の現状が嫌になったら、早くこっちに来たら良かったんちゃう、って思う。何年間もずーっと、嫌やったから、だったら、もうちょっと早く来といたら良かった・・って。

もう悩まないで、早く来たらいい、って感じやね。考えることじゃないし、考えたって仕方ない、って今は思う。来たらどうにかなるよ、って。

Q. えーーと・・他に伺いたいことがあるのですが・・

ふふふふふ、なんで”さし乗り”やってるのって?あははははは!!なんでパドリングしてテイクオフしようと思わんのって?あははははは!!

Q. パドリングは興味がないのですか?

いや・・じゃなくて・・昔はパドリングやってたんよ。パドリングやってたんやけど、ある人がさし乗りしてるの見て、簡単に乗ってたんよ。これええな!と思って・・・えへへ。ほんで、それするようなったんよ。それから、なんか、タイミングが合わんようになった。忘れたんよ、そのタイミングを。

そやからもう・・またパドリングのタイミングを思い出すために、またいちからやり直すのも邪魔くさいというか・・だからもうさし乗りばっかりするようになって・・。でもたまにパドリングでまぐれで乗れるときもあるんよ。その時は一番うれしいね。くくくくく・・。パドルして乗れた!やったー!と思って。テイクオフできた、と思って・・

Q. 普通、さし乗りのほうが難しいと思うんですけどね・・

もう癖やね・・・もう・・・さし乗りしてまうんよ・・・

Q. みのるさんはショートですが、ロングは乗らないのですか?

ほんまは、ロングやりたいんやけどね。さし乗りでけへんから嫌やねん。

なんか俺、ロングやった時、なんか違うよな・・と思って。*しげちゃんが「板かしたるわ」言うて「みのるちゃんもロングやり」とか言うて・・やってんけど・・なんか・・これじゃなんかやりにくいねん。どうも・・さし乗りするわけじゃないし・・なんか・・
*しげちゃん:青島在住の移住者

Q. もうさし乗りという選択肢を捨てて・・

うーん・・・

Q. 捨てられます?

いや・・捨てられん・・

もうちょっと歳とったら・・ひょっとしたら、こういう感じで乗るように練習するかもしれん。あんなこんな、今みたいな短い板、よう乗り切らん、と思う、多分。なんかそういうのできんと思うわ。そやから、もうちょっと・・65・・64、5歳・・ぐらいなった時に、多分そういうファンボードぐらいの、そういうやり方っちゅうのやっていくと思う。

Q. みのるさんて、青島の人たちが、ロングで乗ってる中でショートで乗って・・さしのりでぴょこん!って乗ってるんでしょ?差し乗りを貫いてる・・

うんうん・・さし乗りばっかりやね。だけど、朝なんかこう、わいわい言うてね・・みんなでわいわい言いながら乗ってるもんね、青島の連中、みんないるからね。なんか、そういうのも楽しいし。なんかわいわい言いながら・・青島はみんな知ってるから・・。みんな移住者やから!

Notes
人生の先輩を捕まえて、こういう言い方は失礼だが、みのるさんで遊んでも、みのるさんは怒らない。そういう安心感がある。本人不在の場合、もはや呼び捨てにさえなる。みのるは役割をわかっているのか、そういうポジションを楽しんでいるのか、元来の性質なのか、その真意は誰にもわからない。が、その佇まいが、猫背が、ひょうひょうとした風情が、みのるで遊ぶ安心感を与えるのだ。

ビーチで宿のない旅行者に出会う。すかさず「みのるの家に泊まっていいよ」と本人のいないところで勧める。あまりにも陸サーファー風なので、写真集を作ったことがある。あまりにもビーチにいるので、旅行者向けに、みのるのレンタルサービスも始めた。ステッカーやLineスタンプだってある。

それらをみのるは、さし乗りするように、ぴょこん!と乗っかり楽しんでいる。やはりパドルはしないのだ。ピークは外して、ややインサイド寄りで。

追記 2019年2月
みのるは現在、大阪で療養中。ビーチにいつもいるはずの、みのるがいないのは寂しいものである。
みのるを知るものは皆、青島に戻ってくるのを待っている。

追記 2020年6月
かねてから闘病中でありました、みのるさんですが2020年5月11月の早朝、ご逝去されました。
謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。